こんにちは!
ぱぴおです。
「置かれた場所で咲きなさい」
この言葉、聞いたことある人多いですよね。
座右の銘で挙げていらっしゃる方も多いのではないかと思います。
でもこの「置かれた場所で咲きなさい」という言葉、もう今の時代に合った言葉ではなくなってきている気がします。
大手企業さんも終身雇用の限界を訴え、個人としての働き方も多様化している。
人生100年時代と言われるように、健康寿命もどんどん伸びてきている。
今回はこの「置かれた場所で咲きなさい」という言葉に対する違和感と良くない使い方について書いていきたいと思います。
だいたいの状況でこの言葉は利用できる
本来の「置かれた場所で咲きなさい」という言葉の意味を理解しようとすると、
- 良い人生にする為に、苦労しながらも良い出会いや人生を育てましょう。
- 人に〜してほしいと不満に思うのではなく、何ができるのか今の状況で考えましょう。
- 今いるあなたの場所は偶然ではなく必然と捉えて、その場所にいる意味を考えてみましょう。
こんな感じのニュアンスがあると思います。
これは8割くらいの状況では正しい考え方だなと感じます。
何か達成感を得たいと思った時には、少なからず苦労をしながら壁を乗り越えたからこそ大きな達成感を得ることができるでしょう。
被害者意識でいつも不満を抱えている人は他の人から見れば、良く思われることはないでしょう。
でも、これは全ての人に当てはまるでしょうか?
「最近の若者は我慢が足らない」と言われているその人は本当に我慢することがいつもできない人なのでしょうか?
おそらくそうではないのではと思っています。
ここに違和感があります。
若者でなくても、何か苦しい状況に陥っている他の人に対して闇雲にこの言葉を使っていないでしょうか?
「置かれた場所で咲きなさい。」今は苦しくてももう少し頑張れば良いことあるよ。
いや、苦しくても頑張った結果まだ苦しいのではないのでしょうか?
東日本大震災の時も少しこの話題が上がっていた気がします。
被災者の方に対して、「頑張って!」と激励をしているたくさんの人。
もちろん、激励している方々は本気で相手のことを思って発した言葉なのかもしれない。
でも、もう現在進行形で頑張っている受け取り手にとっては辛いものでしかないですよね。
この「置かれた場所で咲きなさい」という言葉はもう精一杯頑張っている人には使ってはいけないですよね。
だから、そのような状況の人には他の言葉をかけてあげたほうが良いと思います。
例えば、
「良く頑張ったね。もう休んで良いよ。」
「辛かったね。何か自分にできることないかな?」
のような感じですね。
もちろん、どんな言葉が適切なのかはその人が置かれている状況によりますが。
闇雲に「置かれた場所で咲きなさい」風な言葉を発している人は、シンプルに相手の置かれている状況を理解してあげるほんの少しの思いやりがあれば解決できます。
全ての人は自分と同じ価値観で生きているはずがないので、その価値観の根本的な違いを認めることから始めると人生楽になってくると思います。
逃げても良い人間関係は存在する
もう1つの違和感はこちらですね。
置かれた場所ではどんなことがあっても、しばらくは逃げずに向き合っていなければならない。
良く石の上にも3年とか言われますよね。
さて、ここで皆さんに質問です。
今までの人生で今後関わりを持ちたくないくらいに嫌いになった人はいますか?
ちなみに僕には今までの人生で2人だけいます。
あ、これを見てもしかして自分では?と不安に思った人、安心してください。笑
僕が嫌いになった人はそもそもこのブログを読む可能性が無いくらいに縁が無いですし、違う世界で生きている方なので。
自分で言うのもなんですが、人を嫌いになるということは少ないほうだと思います。
どちらかというと勝手に嫌われることの方が多いのも理由の1つですが。笑
でも、基本的に違った価値観に出会ったとしても受け入れられますし、無関心になることはあっても、嫌いになるというのは力を使って面倒なので、そんな面倒なことはしません。
そうです。
世の中にはどうやってもわかり合うことのできないくらいに相性が悪い人は存在するのです。
そういう人に出会ったことがある人は感覚的に分かると思うのですが、
- 何をしてもお互い良いように捉えられない(行動が裏目に出る)
- 悪い意味でいつも気にしてしまうので、マイナスの方向に気持ちがいってしまう
- その雰囲気が周りにも伝わって気を遣わせてしまう
こういう事が起こる事が可能性として発生します。
当事者だけではなく周りにも悪影響を及ぼしてしまう事が分かりますよね。
例えばこういう方が、自分の会社の上司だったとしたらどうしますか?
僕が嫌いになった人は上司の方ではありません。念の為。
もう何をしても評価してくれない、上司から見ても自分が思っているように行動してくれない、最悪の人間関係が出来上がります。

まさにこういう状況ですね。
この状況を第三者視点から見たらどうでしょう?
今すぐその2つ(2人)を引き離してくれ!!!!
そうなるでしょう。
という事で、全ての状況において逃げてはいけないというのは間違いだと思います。
逃げても良いんですよ。
感覚的ではありますが、人生の中の人間関係ってこんな割合ではないでしょうか?
- めちゃめちゃ仲の良い、何でも話せる人:10%
- 仲の良い、普通に話せる人:20%
- お互い知ってはいるけれど、用がなければ特に話すことはない人:69%
- 話したくない、いわゆる嫌いな人:1%
割合は人によって違うと思いますが、3のいわゆる知り合いという枠が一番多い人が大半だと思います。
良く言うと知り合いですが、悪くいうとお互い無関心なフラットな人間関係です。
ちょっと嫌いになったとしてもこの無関心枠に入れてしまえば大抵のことは解決します。
でも、それでも片付けきれないのが1%の嫌い枠(僕は違う世界線に生きる人とも呼んでいます)の人です。
このタイプの方と出会ってしまったら、だいたいすぐ分かります。
出会ってしまったらすぐに逃げましょう。
全速力で、宇宙旅行に行く気持ちで爽快感MAXで逃げましょう。

え、逃げてもまた同じ問題にぶつかるだろうって?
次は1%を引き当てないように最低限考慮すればだいたいは状況が良くなるから大丈夫だよ。
逆にその場に我慢してずっと残っていたら精神的に病んでしまってどうしようもなくなってしまうでしょう。
他の人の目なんて気にするな、結局自分の人生に責任を取ってくれるのは自分自身だけだ。
そりゃちょっとは不利になってしまうこともあるかもしれないけれど、残った時のリスクに比べればどうってことないと思います。
今は個人としてどう生きるか自由に考えられる時代、逆にいうと自分で最適解を見つけに行かないといけない時代ですよね。
だから、「置かれた場所で咲きなさい」ではなく、
「置く場所を自分で選んで、自分の選んだ場所で咲きなさい」
という言葉の方がしっくりくる。
1回で完璧なところを決めようとするから苦しくなる、選択した自分を責めたくなる。
それなら、何回でも選び直す前提でより良い場所をずっと探し続ければ良い。
採用の仕事をしていると、自分の人生を次の1回で決めないといけないくらいの追い込まれたような表情で面接にいらっしゃる方が時々いる。
いや、そのくらいの覚悟で決めるというのは間違っていないのだけれども、絶対失敗したくないという心が悪い方向に出てしまっている事が多い。
失敗前提で考えるとすごく楽になるよ、本当に。
たくさん失敗してみると分かってくるものなのかもしれないけれども、失敗しても意外と悪いことって待っていない。
むしろそこから改善行動を起こせばすごく評価されるし、自分の人生のターニングポイントになったりもする。
失敗は若いうちにこそたくさんできるものなのだから、どんどんこれからもチャレンジして失敗していこうと思う。
最後に、最近面談した方が仕事に対して面白い考えを持っていたので、それを残して終わりにします。
週2日の休みを楽しむ為に働くよりも、週5日の仕事を楽しめるような人生にしたい。
終始面談中爆笑してました。(その他の内容も面白すぎて)
本当に楽しい時間でした。
それじゃ、またねー!